昨日は久しぶりに稽古三昧の一日。三者三様ならぬ “四者四様” の楽しい時間でした。
四者四様のお稽古
美ら箏教室は自宅を稽古場にしている都合上、会社員の夫が在宅している週末は稽古時間を10:30〜17:00までとさせていただいています。昨日はその時間をフルに使って、四名の方が足を運んでくださいました。しかもその内容が実に面白くて!
まず午前中、1人目の方の練習曲は小田誠先生作曲の現代曲。
ついで午後、2人目の方は地歌箏曲「秋の言の葉」。
3人目は小学生の女の子。調弦をドレミ調にして「きよしこの夜」を。
最後4人目の方は琉球箏曲。
いやはや。同じ一日のうちに、ここまでバラエティに富んだ稽古は私も初めてです。皆さんと一緒にそれぞれの曲を弾きながら、同じお箏でこんなにも異なる世界観を表現できるものかと、改めて驚きました。本当におもしろい。
もっとも私がこんな風に楽しめるようになったのは、基礎をしっかり叩き込んでくれた生田箏の師匠と、さらにそれを広げてくれた琉球箏の師匠のおかげです。特に生田箏の師匠から教えていただいた古典の曲は、今のこの歳になってようやくその良さが分かるようになりました。若かりし頃に辞めなくて良かったとつくづく思います。
変わっていく箏
話が飛ぶようですが。
先ごろ、私より一回り若い先生とお話をする機会がありました。その方の流派は “歌もの” を基本としている一門で、先生ご自身もそのことを大切にされています。
ところが、つい最近。子供の頃から教えてきた生徒さんが大学生になって「もう歌ものは嫌」「他のもの(おそらく現代曲)を弾きたい」と訴えてきたとのこと。
今のまま無理に続けさせたら、その子は辞めてしまうのではないか。
その子が続けていけるように、自分も現代曲を教えるようにすべきかとも思う。
でもやはり自分としては、師匠から伝えられたものを次に繋いでいきたい。
そんな話を伺いつつ「どうしたものかなぁ」と相談されて、私も「どうしたものかねぇ」と返すしかありませんでした。
答えが見つからないまま話をしているうちに二人の意見が一致したのは、「お箏という楽器はなくならなくても、お箏で奏でていく曲はこれから変わっていくのだろうね」ということ。良い、悪いは別として、時代の流れには逆らえないのでしょう。
楽しみは自分のもの
昨日はお箏を弾きながら、そんな話も思い出していました。
今はきっと時代の過渡期で、次の世代の頃には「地歌箏曲」も「琉球箏曲」も一部の専門の人だけが弾く『特別なもの』になっているかもしれません。そう思うと、こんな風に一人で様々に楽しめる私はなんと幸せで贅沢なことか!
全ての稽古が終わって片付けをしながら、私は自分が生きる “今の時代の箏” が好きだなぁと再確認。人生を通して続けられる「好き」を見つけられたことは、つくづく〝めっけもの〟です。

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